横浜桜木町野毛のセクシーキャバクラドゥー、居酒屋ひだまり、ガールズバーたこ焼きいいとも、クラブノゲナンデス津軽

JR桜木町駅から京浜急行日ノ出町駅の間に広がる「横浜桜木町野毛地域」は2003年から大規模な街路街灯整備が行われ、桜木町野毛らしい昭和の情緒を残しつつ、飲食、音楽、大衆演劇など楽しい街になり各メディアに頻繁に取り上げられるようになりました。どなた様も楽しんで頂ける様に入りにくいお店や有名店、お勧め店情報を掲載しています。

まずは1軒目!にオススメ店舗

立ち飲み屋さんと言えば圧倒的なロープライスでおじさんの為のお店でしたが、最近は若い女性客でにぎわっています。野毛のレトロな雰囲気を満喫&ちょっと一杯だけと言うスタートに最適なお店です。※予約などは出来ません。また、ダラダラ飲むのもマナー違反です。

パッと飲んでパッと帰る。あとは相席が普通です。

予算は大体500円~です(500円で帰る人もいっぱいいます)

最近はやってきてて金曜日、土曜日の19時前後は入れない事も多いです。スタート店なので、18時くらいまでに入るのがベスト。

【店舗名】よりみち
【住所】 神奈川県横浜市中区野毛町2-77
【定休日】 木曜/祝日
【営業時間】 17:00~23:00

Q.野毛で一番美味しいお寿司屋さんはどこ?
A.ここです。 握り1人前1,700円~

 

野毛はお寿司屋さん少ないのですが、流石に長らく年配の皆様方の舌を唸らせてきただけあって、そのネタと味はとびぬけたものがあります。奥は座敷もあって貸し切りや宴会も可能です。

桜木町(MM21地区)にあるので外国人のお客様が増えてきました。

【店舗名】 すし処 纏
【住所】 横浜市中区野毛町2-90 桜木町スカイハイツ1階
【電話】 045-243-9601
【定休日】 月曜日(休日前は営業します)
【営業時間】 17:00~翌2:00(日・祝16:00~24:00)

旨い魚がたべたくなったらココ!

店内には囲炉裏があり、気の良い大将がその日一番の仕入れをたべさせてくれる。

【店舗名】 さかなかや
【住所】 横浜市中区宮川町3-77 さくらビル B1F
【電話】 045-241-0173
【定休日】 月曜日(休日前は営業します)
【営業時間】 17:00~24:00

2軒目!!ハシゴ酒 うまいものを口直しで

元々港湾労働者と、昔は国鉄の始発駅だった桜木町駅(流通関係者)の胃袋を満たすための発展した桜木町野毛街は安くて旨いホルモンが有名です。焼肉屋さんに必ずホルモンが置いてあり、ホルモン専門店た多数あります。その数あるホルモン専門店の中でも「ほるもんたろう」さんのホルモンは野毛でも超有名!&もとろん安くて超うまい! 当然、炭火焼です。

【店舗名】 ほるもんたろう
【住所】 神奈川県横浜市中区野毛町2-76-1
【電話】 045-232-8825
【定休日】 不定休
【営業時間】 17:30~24:00

※食べログ、ぐるなびなどのMAPに誤りがあります

右MAPをクリック後のマーカーが正しい位置になってます

大通り側の駐車場横になります

王道派の本格炉端焼きのお店です。
もう店構えからして涎が出ます。

うだつは野毛でも老舗であり、美食家に愛され知る人ぞ知る隠れ家レストランです。2階部分も店舗で、座敷や個室も完備されており、名だたるセレブの皆様のご愛用頂いているお店です。和食系でうまいものを食べたくなったらココです。

【店舗名】 炉端焼き うだつ
【住所】 神奈川県横浜市中区野毛町2-76-1
【電話】 045-252-1120
【定休日】 月曜日(休日前は営業します)
【営業時間】 17:00~24:00(日・祝日16:00~23:00)

2015年頃から野毛では急速に全国レベルで有名な観光地となった野毛は大量の コンセプト店が誕生しました。

タコスやホルモン焼き専門店など多種多様です。

そんな野毛ジャングルに新たにたこ焼き専門店ガーズルバーが誕生。こだわりに拘り抜いた店主が作るタネを麗しいガール達が焼き上げて、しかも話し相手になってくれる。

たこ焼きが最高レベルにうまいのでたこ焼き専門店として名を馳せているのが、このお店の特徴です。

ここが面白いと感じたら、この手の不思議コンセプト店がたくさんあるので、情報仕入れて行ってみると面白いです。

【店舗名】 ガールズバー いいとも!
【住所】 横浜市中区野毛1-45 第二港興産ビル2F
【電話】 045-315-4230
【定休日】 日曜日
【営業時間】 20:00~
※2016年4月より定休日が日曜日に変更になりました。

2015年にOPENした新店です。野毛と言えばスナックが有名ですが、年配女性1人または数名で運営しているお店が多く、もっと「ちゃんと相手をして欲しい!」そんな要望に応えて生まれたのが「下町ミニクラブ野毛ナンデス」です。

野毛のスナックは常連さんで席が固められていて(スゴイお店になると曜日で席が固定客の指定席になています)一見さんは利用できない事が多いのですが、このお店なら安心して野毛を感じる事が出来ます。

ここで、野毛の情報を仕入れて夜の街に繰り出してはどうでしょうか?

【店舗名】 下町ミニクラブ 野毛ナンデス!
【住所】 横浜市中区野毛2-75第三野毛産業ビル2F
【電話】 045-315-7287
【定休日】 月曜日(休日前は営業します)
【営業時間】 17:00~翌2:00(土・休日前日3:00まで)

3軒目 フィニッシュは何処?!桜木町のキャバクラ

【こんなお店です】
桜木町野毛で一番流行っているキャバクラです。
繁盛店ならではの女の子の質の高さと豪華な内装、金額を「野毛価格」で安心して利用出来ます。 ドレス、ハウスボトル飲み放題など一般的なキャバクラ方式のお店です。この店のコンセプトで「お客様の疲れを癒し、ゆったりと楽しめるお店」を目指しており、女の子も癒し系が多いのが特徴です。桜木町(MM21)からのお客様も多く、綺麗になった野毛、桜木町に相応しいワンランク上のお店を目指しています。 大小のVIPルームもあり、貸し切りなどにも柔軟に対応してくれます。

野毛価格:

横浜はキャバクラ形式の店舗が非常に多く、店名にクラブの表記があってもキャバクラ形式の店舗が多いのが地域的な特徴です。また、横浜駅から関内駅のキャバクラは店のランクにいよって、3種類程度価格帯が存在しますが、大体何処も同じで「価格では無く内容で勝負!」としている店舗が多いです。その中にあって野毛は比較的安い相場観で、安くて高品質で飲める店/金額を野毛価格と呼んでいます。

【店舗名】エキサイティングドゥー
【住所】横浜市中区花咲町1-45 モナコビル7F
【業態】キャバクラ ニュークラブ
【金額目安】1セット5000円~
【電話】045-262-9939
【定休日】 無し (祭日や日曜日も営業しています)
【営業時間】20:00 ~ Last

【横浜桜木町野毛をパーフェクトに楽しみたい方へ】

横浜桜木町野毛地域は 横浜の中心地であるMM21(みなとみらい21地区)前にあって、花咲町、野毛町、福富町、日ノ出町エリアの繁華街を指します。

横浜桜木町野毛は、17時キックオフが良いです。この地域の飲食店は殆どが17時OPENです。

最初は腹ごしらえで「陽だまり」 「津軽」でお腹を満たして、野毛のノスタルジーを感じます 。

次に情報収集とお酒を楽しむ為に「野毛ナンデス」「ガールズバーいいとも!」にくりだします。

横浜桜木町野毛地域はこれらのお店が100店舗以上あって1日ではとても回り切れません。

それに、各店舗を定期的に巡回している流しの楽器演奏者、歌手、芸人は飲食だけは無く、耳も心も満たしてくれます。

これらの「流し」のアーティストさんたちは皆さまのチップで生計を立てています。野毛の場合は楽曲や芸をリクエストしない限り無償ですが、リクエストした場合は、一杯おごるか、1000円以上のチップを渡すのが一般的です。(500円の人も居ますが嫌われます)また、毎年4月に開催される「野毛大道芸」は世界中から大道芸人達が集まり大道芸を披露する全国的に有名なイベントですが、これらの影響で日ごろから大道芸人さんたちが集まっています。また、元々港湾関係者(世界を行き来する水夫方々)を満たすために街であった野毛はジャズバーなどの音楽が楽しめる店舗も多く、異国情緒を多く残しています。

 

ここまでは女性も楽しく観光出来ますが、男性の方はで者たち無さを感じている人は、せっかくの横浜の夜です。キャバクラはどうでしょうか?

キャバクラなどの接待施設はJR桜木町駅側に集中しています。

特に桜木町駅前にあるモナコビルは多くのキャバクラが入居しており、横浜で有名なキャバクラビルです。

しっとり系やキレイ系の女の子と癒しや出会いを求めてまったり飲みたい人はモナコビル7F「エキサイティングドゥー」。

横浜の夜を心行くまでお楽しみください!

2018年の横浜のボッタクリ状況について

ながらく横浜はボッタクリの無い街として有名でした。しかしながら、2015年頃より散発的ではありますが、2018年6月現在、福富町、関内、伊勢佐木町で、ガールズバー、マッサージ店、スナック(実際は小箱のキャバクラ)などでボッタクリ店がある様です。(野毛町民として大変残念/申し訳無い気持ちでいっぱいです)。 被害に遭われた方の話しでは伊勢佐木町通り沿いのキャッチ(パイラー)に1時間3,000円と言われ、ガールズバーに連れて行かれ、カウンターテーブルの料金表下に小さな注釈でショータイム料金とチャージ料金(15,000円)などと書かれていて、それを根拠に、2時間飲んで9万円を請求されるなどの被害です。

もちろん警察を呼ぶ対応をするそうですが、テーブル上の料金表にはチャージ料金も記載があり10万円以下と言う金額から警察も取り合わない様です。
※桜木町野毛は今の所、同様の被害(ボッタクリ店)は確認されていません。
※勿論、ガールズバー いいともは安心してご利用頂けます。
また、この様なボッタクリ対策として、野毛の飲食店関係者で野毛観光振興協会を立ち上げ、安心して楽しめるお店情報を公開しています。

このホームページも野毛観光振興協会により、運営されています。 野毛観光振興協会では、ボッタクリに関する詳細な情報を公開しています。
今後とも、横浜桜木町野毛地域が安心して楽しめる様、関係当局、地域の皆、一丸となってがんばります。(夜な夜なパトロール実施中)
今日も桜木町野毛は安心安全な街です!




横浜桜木町の成り立ちと華街から見た文化形成と発展について

せっかく、昔から横浜に住んでおり、3代に渡り夜の世界から横浜を見守ってきましたので、人より夜の横浜を知っています。 少し真面目な話しで、横浜、野毛、福富町、伊勢佐木町、関内など、現在、横浜の華街の中心となっているこれら地域の成り立ちと繁栄、衰退の歴史などを書き記したいと思います。
観光で横浜に訪れる方は下記を参考に、夜のお店や遺跡、神社をめぐってみては如何でしょうか? 尚、下記は野毛観光振興協会の創業者が諸先輩方から伝承された情報であり、昭和初期から現在の部分については、一般書籍より部分的に詳しく精度が高いと思われますが、他の部分は横浜市民としての主観(地元愛的な感情)が入っていると思います。

横浜の成り立ちについて

◆江戸時代以前の横浜◆

江戸時代は横浜村と言う小さな漁村でした。 現在でも上大岡から桜木町にかけて流れる大岡川は当時は大きな川であって、地下鉄蒔田駅辺りから元町、桜木町に至るまでの広大な三角形が、河口と言うか沼地、浅瀬と言うか、学術的には汽水湖に分類されるそうですが、当時の文章から潮の満ち引きで、河口になったり、砂浜になったりと書いてあるので、厳密には海水が逆流しやすい非常に大きな河口と表現するのが正しい気がします。尚、この河口出口(石川町から関内方面)に長い砂浜があって、この辺りを横浜村と呼んでいました。いまでこそ、横浜市は広大ですが、横浜村はこの小さな地域(石川町から関内駅周辺)の限定された地域が元々の「横浜」です。

この様に大きな河口があった訳ですが、潮の満ち引きで大きく環境が変わるので、魚種などの収穫できる種類は多い反面、浅草の様な養殖には適さない土地であった様です。 それでも、知恵を絞って塩田などを運営し、野毛村など、近隣村落合わせて1000人以上の人が居て、比較的大きな漁村であった様ですが、この時点では、まだ横須賀や三浦半島は未発達で小田原の北条家が主要な経済圏であり、交通の要所でも無いので、まぁ何も無いドイナカと言った感じだったと思います。


◆江戸時代の横浜◆

江戸時代に入り政治や経済が安定すると、日本全国でインフラの整備が進みます。 その中でも新田開発技術について画期的な技術革新がありました。 簡単に言えば、沼や河口の上に土を置いて田畑にするってだけなのですが、重機も無く、人力だけで実現する土木工事ですからね、高度な土木技術であった事が推察出来ます。そして、この新しい技術に目を付けたのが吉田勘兵衛さんと言う当時の豪商で、この人が江戸幕府などに掛け合い開発許可などを取り付けました。 しかし、この新田開発が非常に難工事で、大雨や地震で何度も頓挫します。 当時、この新田(広大な河口)を埋め立てるのに日ノ出町辺りの天神山や野毛山から土を削って使っていたのですが、これが神仏の怒りの触れたなどと噂になり、野毛村の村民を中心に埋め立て工事の反対運動が巻き起こりました。 また、この時高名な占い師が大岡川の龍神様が怒っているなどと言った為、近隣住民を巻き込み反対運動が頂点を迎えます。 こんな新田工事頓挫の危機を乗り越えるため、吉田勘兵衛さんは地道な説得と地元の神主さんに(この辺、地元の口伝承なので情報確度低い)吉田勘兵衛さんが龍神の怒りを鎮めて欲しいと要請をして、地元の神主さんが大規模な地鎮祭を行い、、巫女さんが人柱として生きたまま埋められたそうです。もちろん残酷な行為では無く、神事として自己犠牲の元、犠牲になった訳、私が幼い頃は巫女さんには感謝しなさいと祖母などからは言われたものです。 祖母から聞いた話しでは横浜市南区山王町5-32にある、日枝神社の横に巫女さんが埋まってるって話しを聞いた事がありますが、事実を確認出来ません。 民間伝承の誤った噂なのかもしれません。

そして、この地鎮祭の時に日枝神社が建立されたとされています。 ウィキペディアでは、新田が完成してから建立されたとありますが、口承では逆になってますね。この様な努力の末、無事反対運動も収束し、無事埋め立てが完了し、新田が完成した。 そんな訳で、新しい新田は「野毛新田」と名づけられ、現在の弘明寺から元町、桜木町を三角形でむずんだ様な広大な面積の新田が完成します。 しかし、完成当時から現在まで地元住民の間では、吉田さんが作った新田なので「吉田新田」と呼ばれており、追認される形で1669年に正式に「吉田新田」と呼称が変更されました。現在は正式名称「吉田新田」と称されています。


◆江戸時代から大正にかけての横浜◆

上記で完成した様な印象を感じていると思いますが、実際には結構ボコボコで所々沼だったり、干拓が甘かったり工事途中状態だった吉田新田も「米が取れる事」で村が出来、やがて街になります。 最初に吉田新田の中央部分に住宅と小さな商店が軒を連ねて、やがて、ここを長者町、福富町と名づけられ(吉田さんの子孫/商人が名付けているので、長者町、黄金町、寿町など景気の良い名前が非常に多いのがこの地域名称の特徴です)、そして、横浜村周辺の野毛村、石川中村などが埋め立てで繋がり、境目も曖昧になっていき、結果まとめて「横浜村」と呼ばれ、この横浜村を中心に発展していきます。

これらの地域はやがて区画整理と街道が整備され改めて伊勢佐木町、寿町、高島町が誕生、完成します。 街となった横浜は、長者町、福富町、伊勢佐木町を経済の中心として当時、江戸の中心であった、品川、鶴見、かな川、から第4の街として発展していきます。更に、かな川と長者町を結ぶ街道が整備され、当時は、海沿いにあった、高島町(現在の桜木町)に宿場町が誕生します。 この高島町こそが、横浜の繁華街の基礎となります。

この様な基礎があったからこそ、 その後ペリー提督による開国後、横浜が国際港を作る場として選択され、横浜港の誕生、更に明治維新を経て新政府軍(明治政府)は横須賀に造船所を作り、当時、国家予算を何割と言う膨大な予算を使って当時、世界でも最先端装置(技術)であった、スチーム式鉄鋼形成機を購入するなど、歴史的な潮流に繋がっていきます。

横須賀は軍港、造船と栄え、横須賀へ人と物を供給する要所、交通の要所として高島町のますます華街としては栄え、力を付けて行きます。

また、開国による日本第1号の国際港になった横浜港には、元町(山手)にイギリスやアメリカなどの領事館が出来、南蛮村などが元町付近に完成。 石川町周辺は治外法権地域となります。尚、「関内」とは、関(せき)の内側の意味です。つまり、現在のJR関内駅前の高速道路には運河(海)があって、そこから海側に人口の島があって、そこが南蛮村であり、そこに関があった訳です。現在の横浜スタジアム側が関の内側で「関内」、伊勢佐木町側は関の外側、関外でした。 尚、ジョークの様に聞こえる関外は「関外地区」として戦前まで普通に使われていました。


◆震災と戦争と横浜◆

江戸時代からひたすら発展と繁栄を謳歌する横浜に始めて試練の時が訪れます。 今は世界でも有数の港ですが、明治時代まで現代人が見ると「小さい!」と思うほどの大きさしかありませんでした。 大正時代に日露戦争が発生し海外輸送需要が大きく高まるとそれに付帯する形で大規模湾岸整備が行われ、現在の形に近ずいていきます。 そんな全力で拡大路線を突き進む横浜に大正12年、関東大震災が発生します。 悲惨でした。旧式の市街地で木造建築の多かった横浜は大火災に襲われ、埋立地である吉田新田は液状化現象で多くの家屋が傾き、埋まりました。 横浜は完全な瓦礫と焼け野原のなってしまったのです。 しかし、当時の横浜市政は大変優秀です。地元にも当時の横浜市政の優秀さが多数口承されています。 まず、関東地方全域が大災害に見舞われている訳で、中央政府も混乱に極みにあります。中央政府へ横浜市からの連絡がついたのは数日経ってからの事だっと言われています。 しかし、当時の横浜市の動きは迅速でした。中央政府へのお伺いなどには即時に、見切りを付け、自分達だけで勝手に都市計画や、瓦礫処理など決めていきます。 この時瓦礫を勝手に投棄したのが現在の山下公園であり、瓦礫の上にコンクリ流し込んだだけであり、今も山下公園の下には当時の瓦礫がいっぱいあるそうです。 そんな、一種の地方政府と独断専行について、中央政府は何も言わなかったそうです(東日本大震災でも同じ事をやって欲しかった) 。そんな訳で迅速な対応が功を奏し、近隣地域の中でもいち早く復興を成し遂げます。しかし、残念な事に、 これが戦争に突き進む日本の物資流通の中心地になる布石になってしまった事は悲しい事実です。いち早く復興を成し遂げ、 日本の流通の中心地になっていた横浜は第二次世界大戦で主要攻撃先となり、昭和17年から大規模な大空襲を受けます。 またも横浜は焼け野原になってしまったのです。 そして、今度は簡単に復興出来ません。現在の山手から根岸、本牧は米国の占領軍に接収(取り上げられ)、元々住んでいた人たちは追い出されます。 横浜は焼け出された人と、追い出された人で、治安も経済も最悪期に入ります。


◆戦後の横浜◆

とにかく、人があまってました。親の居ない子供達(ストリートチルドレン)は路上に屯し、物資は困窮し、奪い、奪われる、そんな最悪の状況です。 この究極の人余りの状態が光と影を横浜に与えます。 まず、光の部分では、平和が訪れ京浜工業地帯の様に工業の町に生まれ変わり、港には荷物の積み降ろしに大量の人でが必要であり、復興需要の人手需要も旺盛に消化し、復興と繁栄を勝ち取っていきます。 影の部分は、横浜の風俗や華街の形成に大きく影響を与えます。 まず、大岡川川沿いに「チョンの間」と言って、生活出来ない女性が売春目的で客を取り、行為に及ぶ為の部屋貸し屋が大量に生まれます。 また、闇市などの無法地帯が桜木町から日ノ出町周辺に形成されていきます。 また、上記のストリートチルドレン達は、教育や治安などとは無縁な世界で成長していき、長らく横浜の治安に対して悪影響を与え続けます。 昭和中期に入ると、本牧や山手など一部の残して大部分が米軍から返還を受けると、更に復興と住民増加を加速していきます。 この時、横浜港や米軍相手に一番繁栄していたのは山下町です。 当時、日本で一番、バーが集中していました(200店舗以上あったそうです) 今では中華街のイメージが強い山下町ですが、今でも80店舗以上のバーが残っていてジャズや世界各国の料理が楽しめます。 米軍摂取地の返還と、長らく無法地帯だった日ノ出町の治安回復に伴い、石川町から日ノ出町に華街の中心地が戻ります。 ただし、戦後の闇を強く引き継ぎ、黄金町から日ノ出町、寿町は、平成の世まで日本で数少ないスラム街であり続けました。

◆現在の横浜◆

2000年初頭、当時の横浜市の市長であった「中田市長は」、赤線と言って、黄金町から日ノ出町にあった「チョンの間」を排除します。 かなり強引な手法であったので、華街の中田さんの評判は当時も今も最悪です。 これを境目に、日ノ出町、野毛、福富町は再整備が加速し、現在では観光名所になるほどキレイに整備され、観光客の皆様を楽しませています。 また、みなとみらい21地区(MM21)と言って、高島町から海側にかけて大きな埋立地が完成し、東横線開通に伴い、経済の中心地も横浜駅西口から横浜駅東口から桜木町にかけての範囲に移りつつあります。 現在は横浜の中心と呼べる場所が少しあやふやになっている過渡期の様です。2016年現在、MM21地区が半分以上完成を迎え、だいぶMM21こそが横浜の中心地といった感覚が横浜市民に広がっている様に感じます。

横浜・桜木町のキャバクラ

そもそもキャバクラと言う業態が生まれたのは最近です。 昭和以前は川崎、黄金町、高島町を中心に、華街が存在していて、小料理屋の様な小さなカウンターで酒を楽しみ、気が合えば別室で楽しむか、そもそも、入り口の女性と2人で部屋に行くか、或いは普通の居酒屋か、この3パターンが主流でした。 昔の人は家族で外食の概念自体が無いですからね。 男が一人か数人か、女か酒かで明確な区別があった様です。 戦後の昭和中期の頃から、ショー的なレストランから、ダンスホール形式のレストランへ発達し、同時に小料理屋からスナックが誕生し、お酒、女性、料理がバランスよく楽しめる業態が多数産まれていきます。 キャバクラは、1990年ごろより、クラブから派生した業態であり、その業態を比較すると、クラブは接待目的で利用、ホステスへの直接交渉基本NGなのに対して、キャバクラは店舗が出会い(軟派)目的を許します。また、クラブは着席して◎◎円、お酒(ボトル)を入れて◎◎円と言う課金の仕方、時間は基本無制限です。これに対して、キャバクラは「1時間◎◎円、基本お酒は無料の時間制」のスタンスで営業していますが、横浜はなぜかキャバクラ形式のお店ばかりとなっている地域的特性があります。(横浜の場合、クラブと表記があっても実態はキャバクラである場合が殆どです)

現在の横浜の花街(キャバクラもあって、居酒屋もある大きな繁華街)は、新横浜駅西口、桜木町、野毛、福富町が主要な中心地です。(関内は、もう花街とは言えない程廃れてきてます) 中でも歴史的に華街の中心地であり続けた桜木町と野毛(高島町)が、数も種類も豊富でお楽しめます。 横浜の相場はかなり平均化が進んでいて、だいたい、どこのお店に行っても同じくらいの金額、同じくらいのサービスが受けられます。 キャバクラが1時間6~8000円、高級店が1時間12000円(店頭には1万円と書いてありますがTAX・SAで20%くらい取られます)が相場です。など、数は少ないですが クラブもあり、相場は着席8000円~2万円の所が多い様です。

尚、すでに書いた通り、横浜は長らくボッタクリが無い街として有名でしたが、最近、数店見かける様になってしまいました。当然の事ながら地元住民と警察機関などとも連携して退治しているのですが、10万円以下(人を選んで数十万円ふっかける場合もある)だと警察による営業停止も難しい様で、福富町方面に数店舗存在する様です。そういうお店はホームページなどはありませんので、飲みに行かれる前に事前に行くお店を決めて(ホームページを見て)から行くことをオススメします。尚、本ホームページを含め、野毛の地域住民、飲食店経営者の皆で「野毛観光振興協会」を立ち上げました。このホームページ記載店舗は観光客に優しい事(一見さんを拒否せずウェルカムな事)、明朗会計である事を確認した「安全で安心して利用で出来る店舗」のみを掲載しています。参考にして下さい。

横浜の文化を感じながら、楽しく飲みすぎない様に、横浜の夜をお楽しみ下さい。

 

桜木町・野毛エリアのボッタクリの現状

誠に残念な事ながら2018年6月現在 1店舗のガールズバーがボッタクリと思われる客引きをしています。

場所は野毛の小町通り周辺で若い女の子が客引きをしています。※店名が入ったプラカードなどは付けておらず、ピン(一人で)客引きしています。ホームページもあります(本協会のページを意識しての事でしょうか?)

いずれも、人を選んでボッタクリを行っており、ガールズバーが着席1時間で会計が5万円程度と、高いクラブだと成立してしまう金額です。

最近はボッタクリがSNSで一気に拡散するので、微妙な設定金額が多いです。

しかしならがら、ガールズバーで5万円など、一般的には考えられない価格設定であって、完全にボッタクリと言って良いでしょう。

これらの店舗はホームページがありますが、当然2chなどにはボッタクリ店として書き込みがあります。Googleのマップの書き込みも荒れてます。

2chなどは自作自演(競合店のウソ書き込み)などもありますので、Googleの口コミが割りと信用出来ます。

当協会も戸部警察署、伊勢佐木警察署などと連携しているのですが、証拠を掴めません(当協会関係者は面が割れてます)。2015年からずっとイタチゴッコで申し訳ない限りです。当協会掲載店で遊ぶか、野毛大道芸協賛店なら確実にボッタクリ店などではありません。(ボッタクリ店はこういう地域振興イベントには参加しない)。皆様、変なパイラーに捕まらない様に楽しく年末年始を楽しんで下さい!(2018年6月5日 update!)